gloopsは、最初からゲーム会社だったわけではありません。出発点は、一つの広告代理店。
そこから、どうやってソーシャルゲームの世界へたどり着いたのでしょうか。創業者・梶原吉広の歩みには、いくつもの回り道があります。この記事では、会社の成り立ちを、創業前の経歴からたどっていきます。
服飾からビジネスの世界へ
梶原吉広は、1979年7月に福岡県北九州市で生まれています。
高校を卒業したあとに進んだのは、服飾関連の専門学校でした。ただ、そこは1年で中退しています。
ゲームや広告とは、直接つながらない出発点です。若い頃の進路が、のちの事業へ一直線に結ばれていたわけではありません。中退したあとにどのような道を歩んだのか、公開されている情報は多くありません。確かなのは、20代の半ばで自らの会社を立ち上げた、という事実です。動機や心境まで踏み込める記録は残っていませんが、進路の出発点が服飾だった点は、経歴をたどるうえで印象に残ります。
2005年、グローバルメディアソリューション設立
会社の始まりは2005年。梶原吉広が設立した「グローバルメディアソリューション」です。この会社が、のちのgloopsにあたります。
当初の事業は、ゲームではありませんでした。広告代理店です。広告を扱うビジネスから、この会社はスタートしています。
今のgloopsのイメージからは、少し離れて見えるかもしれません。ですが、広告で培った感覚は、のちのソーシャルゲーム事業とも無縁ではなかったはずです。人を集め、動かし、続けてもらう。その発想は、広告にもゲーム運営にも通じるものがあります。
会社が生まれた2005年前後は、携帯電話からインターネットにつなぐ人が急速に増えていた時期でもあります。メールやサイト閲覧が当たり前になり、携帯を使った広告やサービスに商機が広がっていました。「グローバルメディアソリューション」という社名にも、メディアを軸に事業を伸ばそうという方向性がにじみます。時代の追い風のなかでの創業だったといえます。
SNS「REAL」という足がかり
転機は2008年に訪れます。同社は、携帯電話向けのSNS「REAL」の運営を始めました。
広告代理店から、自社サービスの運営へ。事業の軸が動き始めた時期です。
この頃の日本は、フィーチャーフォン(ガラケー)が主役の時代。携帯からアクセスするSNSが、若い世代を中心に広がっていました。そうした流れのなかで、自前の場所を持ったことになります。人が集まる場を持つと、次に問われるのは「そこに何を載せるか」
その答えの一つが、ゲームでした。
渋谷クエストで開いたソーシャルゲームの扉
2009年3月、SNS「REAL」の上で『渋谷クエスト』の提供が始まります。gloopsのソーシャルゲーム事業の、まさに起点となった作品です。
さらに2010年2月、この渋谷クエストはモバゲータウン(現Mobage)でも提供を開始します。
自社のSNSから、より大きなプラットフォームへ。この移行をきっかけに、ユーザーは大きく広がりました。
のちに梶原吉広は、2011年のgamebizのインタビューで、事業がこのモバゲー展開を境に伸びていったことに触れています。
広告代理店として生まれた会社が、SNSを経て、ソーシャルゲームの会社へと姿を変える。渋谷クエストは、その転換を象徴する一本でした。
プラットフォーム開放という追い風
渋谷クエストがモバゲーへ広がった背景には、時代の変化もあります。2010年前後、モバゲータウンを運営するDeNAは、外部の開発会社にもプラットフォームを開放していきました。それまで自社で抱えていたゲームの枠を、他社にも開く。
この動きが、多くのソーシャルゲーム会社に活躍の場を与えます。
gloopsも、その波に乗った一社でした。自社SNS「REAL」で試したゲームを、開放されたモバゲーという広い場へ持ち込む。
プラットフォームの開放と、gloopsの渋谷クエスト展開は、時期がぴたりと重なっていました。生まれたばかりの市場に、早い段階で足場を築けたこと。このタイミングの良さも、その後の急成長を支えた一因といえます。
回り道が形づくった会社
服飾の専門学校、広告代理店、SNS、そしてソーシャルゲーム。梶原吉広とgloopsがたどった道は、決してまっすぐではありません。
ですが、その一つひとつが積み重なった先に、黎明期のソーシャルゲームを担う会社ができあがりました。
回り道に見える経歴が、結果として他社にはない視点につながった。そう考えてみると、この創業の物語も違って見えてくるのではないでしょうか。

